伊勢田哲治 選書・コメント
日本を代表する科学哲学者であり、倫理学者でもある。疑似科学と科学の線引き問題、社会認識論などを通じて、幅広い視点から「科学とは何か」について哲学的に問い続けている。また、物理学者との火花散る論戦に真正面から挑むなど、学術的な異文化交流にも積極的に取り組む。
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最小合理性
(双書現代哲学 )
クリストファ-・チャーニアク/柴田正良
2009/02 勁草書房
定価:¥3,630(本体 ¥3,300)
本書は伝統的な理想化された合理性と異なる、ミニマルな合理性のイメージを描き出す。最小合理的な認知者は実行可能な推論だけを行い、疑う特別な理由がある疑問に対してのみ答えを準備する。最小合理性は、現実的な認知者の哲学的モデルであるとともに、現実的な専門知のモデルでもあり、専門知の構造を理解する上でも大きな助けとなるだろう。
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ソーカル事件やそれに続く本書の評価についてはさまざまな立場から異なる見方が可能であると思うが、第二波の科学論が、科学を批判的に検討する非専門家としての自らの立ち位置を検討しなおす一つのきっかけになったことは間違いないだろう。コリンズが自らを単なる非専門家ではなく対話的専門知の所持者と位置づけなおす戦略をとったのもそうした反省が背景にあると思われる。
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リスクについての科学哲学と倫理学の知見を総合的に用いつつ、科学的意思決定に民主主義を取り入れることを訴える。シュレーダー=フレチェットの議論の進め方は正直あまり論敵に対してフェアとは言えないのだが、実践的問題について科学哲学が何を言えるのかを考えた貴重な試みであることは間違いない。
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本書で提示される科学の変化の「網状モデル」は、科学の理論、方法、目標がそれぞれ自立性を持ちつつお互いを制御しあうという観点から、クーンのパラダイム論などとは一線を画す、非全体論的な科学の変化のイメージを描き出している。科学における価値観や目標に関わる側面を理解する上で本書の提案するモデルは示唆に富む。
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科学革命の構造
トマス・サミュエル・クーン/中山茂(科学史)
1971/00 みすず書房
定価:¥3,080(本体 ¥2,800)
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クーンの『科学革命の構造』は、科学論の第二波の始まりを告げる記念碑的な著作であり、コリンズらが第二波の終焉を宣言している今、そこで何が言われているかをあらためて振り返ることには価値があるだろう。ただ、クーンがいたずらに科学を相対化しようとしていたわけでないことは、『科学革命における本質的緊張』や『構造以来の道』をあわせてよむことで明らかになるだろう。とりわけ『構造以来の道』に収録されたクーンへのインタビューは『科学革命の構造』出版の背景などを知る上で貴重な情報源となっている。
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著者は、福島第一原発事故後、被災地住民の一人として、放射線量を計測しつつ住み続ける「福島のエートス」の活動を行ってきた。この活動自体も専門家と被災地の関わり方についてさまざまな問いを投げかけるが、それ以上に、著者が本書の随所で専門家たちへ向ける冷めた視線は、「自分たちはどう見えるのか」を専門家たちに意識させずにはおかないだろう。
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著者は科学技術社会論の研究者だが、人工知能研究のコミュニティに深く潜入し、そこで何が起きているかを著者独自の視点から報告してくれる。著者は自らの仕事を「橋渡し」と位置づけるが、そうした著者のあり方をコリンズらの目指すあり方と比較することも可能だろう。
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「科学コミュニケーション」は科学者が一般市民むけに研究内容をわかりやすく伝える、といった理解がなされがちだが、科学技術への不信などの科学技術社会論的背景のもとで広まったものである。本書はそうした背景にさかのぼりつつ、科学コミュニケーションのバックボーンとなるべき理論を考察し、そこからあるべきコミュニケーションの姿を構想する。
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天体物理学者と科学哲学者が科学哲学について語り合った書籍である。異なる専門知を背景として持つもの同士での会話がどのように噛み合わなくなるか、その噛み合わなさがいかに解消が難しいかを例示するという点で、類書がない本ではないかと考える。読む人の立場によって読んだ印象が全く異なるようなので、本書の感想を共有しあうこと自体が異文化交流としての意味を持つかもしれない。
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認識論を社会化する
伊勢田哲治
2004/07 名古屋大学出版会
定価:¥6,050(本体 ¥5,500)
科学哲学者たちは、科学社会学の相対主義的傾向と距離をおき、場合によっては厳しい批判を行ってきた。その中で社会認識論と呼ばれる分野では、むしろ科学社会学の知見を積極的に取り入れつつ、科学の社会的側面は科学の合理性にどう貢献してきたか、と問いかけることで科学の合理性と社会性の両立を目指す。そうした社会認識論の考え方を知る上で本書は数少ない日本語での情報源となっている。
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本書はお互いに背景の異なる人々が科学技術の関わる問題について対話するためのスキルや知識をクリティカル・シンキングという観点からまとめたものである。対話的専門知を非専門家が身につける上でもそうしたスキルは必ず必要になるはずである。
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疑似科学と科学の哲学
伊勢田哲治
2003/01 名古屋大学出版会
定価:¥3,080(本体 ¥2,800)
『専門知を再考する』では第三波の科学論の観点からの科学とそれ以外の境界をどこに設定するかについての提案もなされている。この議論の下敷きとなっているのは科学哲学における境界設定問題であり、比較することでコリンズらのアプローチの独自性もよく見えるだろう。
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生活知と科学知
(放送大学教材 )
奈良由美子/伊勢田哲治
2009/03 放送大学教育振興会
定価:¥2,530(本体 ¥2,300)
放送大学における同名の授業の教科書として作成されたもの。生活科学と科学哲学や科学技術社会論の知見を結びあわせて、「科学知」と同等の重みを持つものとして「生活知」を描き出し、両者の生産的な交流の方向性を描き出す。こうした「生活知」も一種の専門知として捉え直すことが可能かもしれない。